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髪結いの亭主

時代劇でお馴染みの女性の髪形・・

あんな感じで女性が髪を結うようになったのは、江戸時代に
入ってからだそうです。

それまでは貴族、武家の間でも「垂髪(すべらかし)」が
一般的でしたが、やがて自分で髪を束ね、結髪するように
なったとのことで・・

そのうち親しい友だち同士で互いの髪を結い合うようになり、
さらにお金を払って他人の手でおしゃれに結ってもらうように
発展していったそうで・・

そこで髪結いと言う職業が登場したらしいです。

ところで、「髪結いの亭主」って言葉、聞いたことありませんか?

妻の稼ぎで生活してる夫のことを指す言葉ですが、これは明治
時代になってからの慣用句だそうです。

つまり、明治においては髪結い業は、主に女性の手によって
なされていて、主要の顧客は芸妓だったようです。

髪型にこだわる芸妓が増えたことで、その稼ぎもよくなり、
男の給金より多く稼ぐ髪結いも少なくなかったらしいです。

それで夫の生活まで充分に面倒を見ることが出来たとのことで。。

そんな髪結いですが、江戸時代には何度か髪結い業が禁止されて
きたと言う歴史もあるようで・・

と言いますのも・・

寛政年間(1789~1801年)には50文以下と、当時では手軽な値段で
髪を結ってもらえるようになったこともあって、女性たちの間で
大流行します。

既に自分で自分の髪を結うことなんてせず、髪結い師に任せっきり・・

これに幕府が目をつけ、

  近頃、女髪結があちらこちらに現れ、遊女、歌舞伎の
  女形のように結い立てるようになった。
  これはとんでもないことである。
  女は万事、分相応の身だしなみをすべきだ。
  身分軽い者の妻、娘たちまで自分で髪を結わない
  ようになるとはなげかわしいことだ。
  よって、今後は女髪結を一切禁止とする。

って感じの内容で、髪結い業は取り締まりを受けることになり、
一時、姿を消したかに見えましたが…

ほとぼりが冷めると、すぐに復活します。。。

それで、天保の改革(1841~1843年)の際にも禁止令が出まして・・

あの曲亭馬琴が、自著の中でこんなことを書いています。

  天保十二年、女髪結が禁止されたが、
  今年十三年になっても止まないので、
  髪結い業だけでなく、その客まで
  召し取られることとなった。
  とは言え、この頃では二十四文で髪を
  結うそうで、裏長屋の女房や娘まで
  髪を結ってもらうようになった。

そんな状況ですから、その頃、江戸の町には推定で1400人も
髪結いが居たとのことで。。。

取り締まろうにも、取り締まり切れない。。。

と言うより、1400人もの人たちの仕事を奪ってしまったら、
大変なことになってしまうわけです。

江戸の庶民の力強さと言いますか・・

いつの時代も女性は髪の手入れに余念なく、髪型にこだわる
と言うわけで・・

そのおかげで、明治に入ると女髪結の稼ぎも良くなり、夫を
食わせていけるようになったと・・

そして時代は移り、今は美容室で・・

髪は女の命…、とは、よく言ったものだと思いますね。
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