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ひと昔前の詐欺は

今も詐欺事件は減るどころか、増える一方で。。。

ところで、詐欺と言いますと他人様を騙し、金品を奪うことですが、
ひと昔前の詐欺は、少しばかり趣が異なっていたようです。

〝M資金″と言う言葉を聞いたことありませんか?

これは第二次大戦後、米国を中心とする連合国と日本国の間で締結
されたサンフランシスコ講和条約に基づき、それまではGHQが押収、
管理していた旧日本軍の「隠し財産」を日本に返還すると言うもので・・

その隠し財産は、現金と財宝を合わせて、当時で総額数千億円と言われ
ました。

これを日銀で保管し、戦後の日本の復興名目で運用が繰り返されてきた
と言われています。

日本の経済が先進諸外国と肩を並べるための資金援助としてM資金は
活用されたとのことで・・

特に1969年辺りから、「M資金による資金援助」の話が、あちらこちらで
囁かれるようになったみたいです。

ちなみに、なぜM資金と言うのかと申しますと、当時、旧日本軍の
隠し財産の管理を任されていたマーカット少将のイニシャルを取って、
そのように呼称されることになったそうです。

で…

歴史的と言っても良いと思われるほどの…

M資金による詐欺事件の第1号…

それは、元自由党で衆議院内閣委員長を務めた経歴を持つ鈴木明良が、
全日本空輸株式会社(全日空/ANA)の当時の社長である大庭哲夫氏に
資金援助の話を持ち掛けたことから始まるのです。

鈴木明良は、1952年に選挙違反により逮捕され、失脚…

以降、政治家復帰もままならず、〝元政治家”と言う肩書を用いての
人脈を頼って、良からぬことを働いていたらしいです。

そのターゲットのひとりが大庭哲夫氏だったわけで。。

さて、その頃の全日空と言えば、GHQの占領政策によって日本国籍の
航空機の運航が禁止され、サンフランシスコ講和条約後になって禁止が
解除されたばかりで・・

全日空の前身である日本ヘリコプター輸送株式会社が1952年創立・・

1958年に極東航空株式会社と合併の後、全日空(ANA)として設立しました。

とは言え、これまでの運航禁止の期間中、航空関係者の多くが失業して
おり、そんな彼らの救済も含め、莫大な資金が必要だった時期だった頃
でもあったのです。

そんな折に・・

資金援助の話は、大庭哲夫氏にしてみれば、まさに干天の慈雨!

鈴木明良は、こんなふうに話を持ち掛けたと言われています。

  私は敢えて政治家から転身し、日本のために
  特別な任務を担っている。
  それは先進諸外国に劣らぬ、否、先進諸外国
  でも到達し得ない経済、産業を興すことだ。

そして、大庭社長に持ち掛けた融資額は3,000億円・・

現在の貨幣価値にして6,000億、いや、8,000億円とも言われるほどで・・

大庭社長にしてみれば、喉から手が出るほどで・・

この融資欲しさに、鈴木明良の指示のまま各種書類を作成しました。

そして、これらの書類は全日空の株主総会の席に持ち込まれ、

  こんなバカ話を信じ、このような書類を
  やり取りするような人物に到底、社長は
  任せられない!

と糾弾したのが、後にロッキード事件で知られる児玉誉士夫でした。

1970年、これにより大庭社長は辞任に追い込まれました。。。

以上がM資金にまつわる詐欺事件第1号とされており、僕よりも30歳、
40歳ほど年上の人たちでしたら、

  おおっ!
  あれか!

と、ポンと手を叩いたり、膝を叩いたりして思い出される人、多い
ことと思います。

実は、このM資金詐欺は現代においても、詐欺のネタとして使われて
いるそうですが、今から50年以上も前の頃・・

その頃では、金品を騙し取ると言った直接的な被害を被るものでは
なく、こうしたスキャンダルに関わった著名人をおとしめて、失脚
させると言った趣が強かったみたいです。

これは、まだネットが存在しなかった時代だからこそ・・

必要な情報も、余計な情報も拡散されることなく、ターゲットに
取り入ることが可能だったと言う・・

ある意味、詐欺を犯す者たちに都合がよかった時代と言えるかも
知れません。。。
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