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至って汚き物なり
幕末期である1863年(文久3年)…
幕府の遣欧使節団の一人であった三宅某なる役人は、日本人として
初めてカレーを見た人物…らしいです。
どこで、どのような経緯でカレーを見ることになったのか、詳しい
ことは知りませんが…
とにかく、カレーを見た三宅某なる役人は、日記に、その感想を
記しておりまして、そこには…
至って汚き物なり
と書かれていたそうで。。。
あいにく三宅某は、その場でカレーを見ただけで、食べたわけでは
なさそうです。
で、その場で見たカレーってのも・・
●カレールウのみだったのか
●カレーライスの状態であったのか
●具入りであったのか
●具が入っていたとしたら、どんな肉、野菜が入っていたのか
●福神漬は添えられていたのか…
それらの情報は、全くわからないのです。。。
まぁ、でも・・
至って汚き物なり
ってコトなんで、たぶん、三宅某なる役人は、何やら別のモノを
想像してしまったのかも知れません…。
しかし・・
もし、欧州の役人さんなどが、その場にいたとしたら、
おまえらが食ってる味噌よりマシだろ。。
って思ったかも。。。
それはイイとしまして…
日本人が初めてカレーを食べるのは、それからさらに8年後だとか。。
そして、そして…
ハウス食品が固形ルウの「印度カレー」を発売したのが1960年。
大塚食品がレトルトの「ボンカレー」を発売したのが1968年。
こうしてカレーは、日本人にとって国民食と言われるまでに波及して
いったわけです。
しかし、今から156年前・・
至って汚き物なり
と酷評した三宅某。
まさか、国民食と言われ、多くの日本人に好まれる食べ物になって
いるとは夢にも思わなかったでしょうね。。。
彼が現代に蘇ってきたら、スプーン片手に、口の周りを黄色く染めながら、
何杯もカレーライスを食べるでしょうか?
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幕府の遣欧使節団の一人であった三宅某なる役人は、日本人として
初めてカレーを見た人物…らしいです。
どこで、どのような経緯でカレーを見ることになったのか、詳しい
ことは知りませんが…
とにかく、カレーを見た三宅某なる役人は、日記に、その感想を
記しておりまして、そこには…
至って汚き物なり
と書かれていたそうで。。。
あいにく三宅某は、その場でカレーを見ただけで、食べたわけでは
なさそうです。
で、その場で見たカレーってのも・・
●カレールウのみだったのか
●カレーライスの状態であったのか
●具入りであったのか
●具が入っていたとしたら、どんな肉、野菜が入っていたのか
●福神漬は添えられていたのか…
それらの情報は、全くわからないのです。。。
まぁ、でも・・
至って汚き物なり
ってコトなんで、たぶん、三宅某なる役人は、何やら別のモノを
想像してしまったのかも知れません…。
しかし・・
もし、欧州の役人さんなどが、その場にいたとしたら、
おまえらが食ってる味噌よりマシだろ。。
って思ったかも。。。
それはイイとしまして…
日本人が初めてカレーを食べるのは、それからさらに8年後だとか。。
そして、そして…
ハウス食品が固形ルウの「印度カレー」を発売したのが1960年。
大塚食品がレトルトの「ボンカレー」を発売したのが1968年。
こうしてカレーは、日本人にとって国民食と言われるまでに波及して
いったわけです。
しかし、今から156年前・・
至って汚き物なり
と酷評した三宅某。
まさか、国民食と言われ、多くの日本人に好まれる食べ物になって
いるとは夢にも思わなかったでしょうね。。。
彼が現代に蘇ってきたら、スプーン片手に、口の周りを黄色く染めながら、
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